2月13日に南相馬市で震度6弱を観測した地震で、壁が壊れてしまった教会のトイレ。
やっと修繕・改装工事が終わり、きれいになりました。
三位一体とは関係ありませんが・・・
●三位一体の主日(祭)
聖書箇所:申命記4・32-34, 39-40/ローマ8・14-17/マタイ28・16-20
2021.5.30非公開のミサにて
ミサのはじめに
福島県では一時、コロナ病床使用率が90%を超え、重症病床使用率も50%を超えていました。その状況が改善されてステージ4からスタージ3まで戻り、5月末で県独自の非常事態宣言が解除されることになりました。福島県民の勝利です。わたしたちもミサを犠牲にして、それに協力してきました。そして来週からは皆でミサを祝える。この恵みに感謝し、全世界のコロナ・パンデミックの終息のために祈りましょう。そして今もこの感染症で苦しんでいる方々、その方々を支えている医療従事者や家族・友人、仕事を失い、経済的に追い詰められている方々のために祈りましょう。
ホミリア
公開ミサの再開を前に、改めて「日本のカトリック教会における感染症対応ガイドライン」を読み返してみたら「説教は短く」となっていました。今日は短くするつもりです。
さて、マタイ福音書の結びにあたる今日の箇所に「父と子と聖霊のみ名によって」という言葉があります。もともと洗礼式のときの言葉で、ギリシア語は「父と子と聖霊のみ名の中へ(沈める)」という表現。これがラテン語になると「父と子と聖霊のみ名のうちに」という言い方になって、祈りのたびに唱える言葉になりました。
今は「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と言いますが、昔は「父と子と聖霊『と』のみ名によって。アーメン」と言っていました。お祈りのときに十字架のしるしをしながら、そう唱えるんだと教えられた、ある子どもは「父と子と聖霊とミナによって」だと思っていたそうです。「父、子、聖霊、ミナ」だと「額、胴体、左肩、右肩」の4つとピッタリ合いますね(本来、動作と言葉は別のもので、額が父、胴体が子っていうわけじゃないのですが)。その子の考えはこうでした。「父も子も聖霊も神様のこと、そして『ミナ』はわたしたちみんなのこと。神さまとみんなのことを思ってお祈りするっていう意味だよ」
とんでもない勘違いですが、なんか素敵な勘違いだとも思っています。
今日のミサの集会祈願には「聖なる父よ、あなたは、みことばと聖霊を世に遣わし、神のいのちの神秘を示してくださいました。」という言葉があります。ラテン語原文は、“Deus Pater, qui, Verbum veritátis et Spíritum sanctificatiónis mittens in mundum, admirábile mystérium tuum homínibus declárasti,” 直訳すると、「神である父よ、あなたは真理のことばと聖化する霊を世に送り、あなたの驚くべき神秘を人間に明らかに示してくださいました」となります。
神ご自身の神秘は、みことばであるイエス・キリストの生涯、十字架の死と復活、そして聖霊降臨の出来事を通して人間に示された、ということです。だから、四旬節・復活節が終わった今、そのこと全体を振り返って祝う。これが「三位一体の祭日」の意味です。三位一体というのは、わたしたちと関係ない、神様の内部のことではなく、神様が人間に関わってくださったということからわたしたち人間が知るようになった神様のあり方なのです。そう考えれば、あの子どもが考えたように、どこかで、わたしたち「みんな」が入っているのもいいのではないか。
イエスの生涯・死と復活をとおして示されたものは何か?
それは神が愛であり、その愛ゆえに、神はひとり子を人々の救いのために与え尽くされたということ。神のひとり子は人類の一員となられ、わたしたちの弱さや苦しみをとことん共にしてくださったということ。人々の救いのためにご自分のすべてを与え尽くされたイエスは父である神と一つであり、完全に父と一致しているということ。
聖霊降臨をとおして示されたことは何か?
わたしたちが、イエスに結ばれて、神を「アッバ」と呼ぶことができるようになり(ローマ8・15、きょうの第二朗読)、互いを兄弟姉妹と呼ぶことができるようになったこと。「霊の実」としての愛、「聖霊のたまもの(カリスマ)」の「最高の道」(Iコリンと12・31)として愛がわたしたちに与えられたこと。神の愛・イエスの愛に応えて、わたしたちが互いに愛し合うことのできるものになったこと。
神は道を見失ってさまよい、疲れ果て、しゃがみ込んだり倒れ込んだりしている人間をほうっておくことができず、みことばであるイエスと聖霊を世に遣わされたのです。「父と子と聖霊」とは、人間と関わろうとされた神の姿なのです。
その神はイエスをとおして永遠にわたしたちと共にいてくださる。
その神は聖霊をとおして永遠にわたしたちのうちに住まい、わたしたちを神ご自身と結びつけ、そしてすべての人を兄弟姉妹と結んでくださる。
その神に向かって、その神の救いのわざを思い起こし、その神の愛に信頼して祈るわたしたちの心の姿勢を整えるための言葉が「父と子と聖霊のみ名によって」という言葉です。今日、改めて、この言葉をしっかりと味わうことができればと思いました。
父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。